10年間事業を続ける力になった、4つの出会い①

2008年4月1日

これが何の日か、ご存知だろうか?


柴田と2人でリリムジカを立ち上げた日だ。

つまり、今日2018年3月31日で会社を立ち上げてちょうど10年になる。


現在我々は、未来の人が豊かに暮らせる社会をつくることを究極の目的として、
介護施設・高齢者向け住宅で音楽プログラムを行う事業を営んでいる。

2人きりで始めた会社は、プログラムを行う
ミュージックファシリテーターが28名、
135か所の介護施設・高齢者向け住宅と提携するに至った。

2022年1月期末に100名・500か所を目標とし、
この1年は40名・180か所を目指している。


とはいえ、スッと前を向ける精神状態になったのは、ここ数年のことだ。

当初は何のためにやるのか。確信もなかった。
お金にもならなかった。両親には会うたび「もうやめたら」と言われた。
柴田と私含めてメンバーが5人しかいないときに2人辞めたこともある。


私はどうして10年やめずにリリムジカを続けられたのだろう?
振り返ってみると、4つ重要な出会いがあった。

長くなりそうな気がするので、今日はまず1つめを書く。


それは、妻 千晶との出会い。
彼女がいなかったら、リリムジカは全く違う事業をしていたか、
すでに存在していなかったかもしれない。


千晶との出会いは2009年2月。
ひたすら福祉・介護関係者にヒアリングをしていたころだ。
http://iysks.blog51.fc2.com/blog-entry-124.html

社労士の田谷智広さんに紹介してもらった経営セミナー。
最前列でとなりだった。


セミナー後に声をかけ、名刺を渡した。
「いま、介護・福祉に関わる方にヒアリングをしているんです」

「私、10年特養で働いていたんですよ」

「えっ、本当ですか!」


彼女にまずヒアリング。

ご利用者にしあわせに暮らしていただきたい。
けれども、日々の忙しさや、組織のむずかしさもある。

こういう人たちの力になりたい、と思った。


その後、元々勤めていた施設を紹介してもらい、ヒアリング。
そこがリリムジカ初の高齢者対象・定期的な現場になった。
http://iysks.blog51.fc2.com/blog-entry-159.html


つまり、彼女と出会っていなかったら、
リリムジカは介護の現場で仕事をしていなかったかもしれない。


(お礼と称して食事に誘ったのは、公私混ド・・・、ゲフンゲフン)


そして、過去を思い出して驚いたことがある。

妻は今まで一度も、リリムジカの将来性について疑ったことがない。

「もうやめなよ」とか
「うまくいかないんだったら、ほかの道もあるよ」とか。

言われたことがない。

そもそも妻は、当時ほぼ無収入の私と付き合い、結婚している。

結婚して何年か経った後、「当時どう思っていたの?」と聞くと
「絶対に何とかなる、と思っていた」と話していた。

元々介護の現場で働いていた視点から、
「絶対に必要なサービスだと思った」と言う。

妻は、「支援者」以外で最初にリリムジカに賭けた人だった。
彼女のおかげで、我々は事業を立ち上げ、続けられている。

自己有用感

自己有用感は「私は人の役に立っている」実感である。

自己有用感が高い人は行動しやすい。「これはきっと役に立つぞ」
自己有用感が低い人は行動しにくい。「どうせやっても意味がない」

行動量の多い組織の成果は高い。
行動量の少ない組織の成果は低い。

つまり、成果を出すためには組織の構成員の自己有用感を高く保つ必要がある。
「金払ってるからその分働け」だけだと他社に人が流れる。

自己有用感は自尊感情と異なりひとりでにうまれるものではない。
たとえば「感謝されること」によって実感される。むしろその他の手段では醸成しえない。

すなわち、組織の自己有用感を高めようと思ったときにトップがまずすべきことは、
構成員に感謝することである。

しかし、感謝するのは意外と難しい。
思いがけない良いことをされたときに感謝を伝えるのは容易である一方、
「してもらって当たり前」なことに人はなかなか感謝できない。

「してもらって当たり前ゾーン」を小さくする。
それによって、「感謝ゾーン」を広げていく。

何事も当たり前ではない、と認識する。

今乗っている電車が動いているのも、
信号が適切に作動するのも、
地球に酸素があるのも。


組織に話を戻そう。
どうすれば組織の自己有用感を高められるか。

第一の方法は、自らの感謝ゾーンを広げて
感謝を発することであった。
しかし、この方法には限界がある。
トップが発せられる感謝の量には限りがあるからだ。
第一トップの仕事は感謝することだけではない。

ゆえに、組織的に感謝が飛び交う状態にする必要がある。
ワンマックプリーズ、センキュー。

ではどうすれば飛び交う感謝の量を増やすことができるのか。
そろそろ紙幅が尽きてきたので続きは3月10日のコミュニティフォーラムで考えることにしよう。
(答えが見つかっていないのはナイショだよ)

http://crfactory.com/seminar-event/3253/

シンポジウム「脳と芸術とAIの共存に向けて」で出た4つの問い

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1月21日(日)、玉川大学学術研究所 先端知能・ロボット研究センター
略称AIBot(あいぼっと)研究センター主催のシンポジウムに参加してきた。

第1部は生演奏と映像の組み合わせが人間にどう作用するか、聴衆を交えての実験。
第2部は脳・芸術・AIをテーマにした講演とパネルディスカッションだった。

研究者の方々のコメントがきわめて興味深かったので、
4つの問いという形で紹介したい。

1.音楽聴取や合唱は人間の社会性を促進するか
人が人とふれる幸せを感じるときに分泌されるオキシトシンというホルモンがある。

AIBot研究センター主任の岡田浩之先生によると、
玉川大学では音楽を聴いたり合唱をしたりすることが
オキシトシンの分泌にどう作用するかの研究を始めたとのこと。

音楽体験によってオキシトシンが分泌され、
それによって人の行動が変容する。

リリムジカの仕事にも極めて関係が深い。
グループで行う音楽体験が、居合わせた人の人間関係に作用しうる。
経験的にそう感じてきたが、今までは生理的に
どのような作用があったのかがわからなかった。

オキシトシンを調べることによって、生理的な作用を理解できる可能性がある。
ぜひAIBot研究センターの方と一緒に考え深めていきたい。

2.人工知能は心を持つか
脳科学総合研究センター特別顧問 甘利俊一先生からはこの問いが発せられた。

ロボットが人間の心の動きを理解し、それに沿って対応する。
すると人間は「ロボットが心を持った」と勘違いするかもしれない。

しかしここで、ロボットは本当に「心を持った」と言えるのか。
心を持ったと感じさせる計算のからくりを持っているにすぎないのではないか。

このような趣旨の問いかけであった。

ただ、本質的に「心を持った」と言えなくても、
「心がある」と思わせれば十分かもしれない。

これまで私は、機械にできない人間のはたらきとして
「他者に期待すること」を挙げていた。

たとえば重度の認知症の方のそばで
「もしかしたら一緒に歌えるかもしれない」と願いながら歌いかける。

「一緒に何かをしたい」という期待は、目には見えないけれど、
相手に伝わって、音楽になって出てくることがある。

期待こそが、機械ではなく人間がはたらく意義だと思っていた。

しかし、この「期待している」という心。
そこからうまれる所作を機械が学習して表現できるとしたら、、。

人間がやるよりも効果的に、
結果(本人が心から望むかどうかは別として)をもたらすかもしれない。

ダイエットアプリは利用者の記録に応じて応援の言葉を投げかける。
「10日連続記録!その調子です。」「目標まであと1キロですよ。がんばっていきましょう!」
ブレのある周囲の関わりよりも継続につながるかもしれない。

ソーシャルゲームはログインのたびに「○○(名前)、おかえりなさい!」と声をかけてくる。
喧嘩中の家族に不機嫌に「おかえり」と言われるよりも、またログインしたくなってしまう。
実際のところゲームのプログラムは、ユーザーがまたログインして嬉しいなどと少しも思っていない。
「ユーザーをまたログインしてもらいたい」という開発者の意図があるだけだ。

3.同期に価値があるのか。相互作用に価値があるのか。
パネルディスカッションで塚田稔先生(玉川大学 名誉教授)が
ダンスについて話題提起した。

一般の人は、ペアの動きが同期・一致していることが美しさにつながると考えている。
しかし本質は違う。一方の動きを他方が受けて、自分の中で統合し、相手に返す。
たとえ相手が素人でも動きを受け止めて返すことで、踊りを創造する。

私の理想とするミュージックファシリテーターも同じだと思った。
居合わせた多様な人の多様な発信を受けて、音楽をつくっていく。
ただ曲を消費するのではなく、たとえ既成曲であっても新たな音楽を創造する。

とはいえ、同期や調和と相互作用による創造に
必ずしも優劣があるわけではない。

たとえ自分と目に見える相互作用が起きていなくても、私たちは感動しうる。
2017年紅白歌合戦における三浦大知氏の無音ダンスは素晴らしかった。

一方、相互作用の中で思いがけない力が発揮できて感動することもある。

4.どのような刺激が脳を最もクリエイティブにするのか
第1部の演奏と映像について「素晴らしかったけれども、
映像がない方がよい瞬間もあった」という指摘があった。

甘利先生によると、脳は自分自身で世界をつくっている。
うまくすれば、目の前に起きているリアリティ(今回で言えば演奏と映像)と
自分のイマジネーションのインタラクションが起きる。

しかし、刺激が強すぎるとイマジネーションをする余裕がなくなる。
この感覚は私も理解できた。

というのも、実際に第1部で「桜」をテーマにした曲の演奏のとき、
次々切り替わるスクリーンの映像をうるさく感じたこともあったからだ。

なかなか集中できなくて、最終的には視線を奏者に集中し、
映像は背景だと思うことにした。

刺激の中身も重要だが、タイミングと間隔も重要ということだ。


今回のシンポジウムは、知的に大いに刺激されたし、
リリムジカの仕事にも活かせそうだ。

登壇者の皆様、AIBot研究センターはじめ主催の皆様、
素晴らしい機会をありがとうございました。