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おばあちゃんたちは、見ているしわかっている

デイサービスや老人ホームを訪問することが多々、ある。
リリムジカのサービスを紹介するときであったり、
利用者さんの様子、状況をうかがうときであったり。

そんなとき一番ドキッとするのは施設長と対面するときでもなく、
サービスについてガシガシ聞かれるときでもなく、おじいちゃんおばあちゃんに
「あんた、昼間っからこんなところに何しに来たの?」と聞かれるときだ。

「ボランティアさんかい?」「業者さんかい?」

私はもし自分がおじいちゃんおばあちゃんの立場だったら
「ボランティア」という曖昧な存在と打ち解けるには時間がかかる。
だいたい「ボランティアだから来ました」は理由になってない。
モノを売りつけにくる業者さんとは、話したいとも思わない。

だから、必死に考えて、身分の説明をする。

「今日はお祭りだって聞いて。カキ氷食べたいから手伝いにきました。」
「これからみなさんと一緒に音楽のプログラムをするんですけど、
何をやったら楽しいかわからないから、聞きにきたんです。」

ここで気をつけなければならないのは、
あまりにもちゃらんぽらんな返答はNGだということ。

一度答えにつまって、「今日はいい天気だからふらふら遊びにきました」と言ったら
ちょうど通りかかった職員さんに聞かれた。思いっきり変な顔をされた。そりゃそーだ。


あと、おばあちゃんたちに「こんなばばぁばっかりのところに来て
何が楽しいの?」と聞かれたときもスベると後が大変。

過去に「いやぁ、そんなことないですよ!」とフォローしたことがあるが、
怪訝そうな顔をされて終わった。話が全く続かなくなった。
彼女たちは「頭もよく回らない自分たちと話をして楽しいはずなんかない」と
思いこんでいる。それを否定したところで、彼女たちの信頼は得られないわけだ。

「ほんとそうですよね~。みなさんがあと50年若いと私も楽しいんですけど。」とか
「仕事だからしょうがないんですよ~。どうか相手してください。」とか
軽く毒吐きながら話題をそらすとよいのでは、というのが最近の考え。

 
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で、お前はどうする?

大学の剣道部時代、ものすごく強い同期が居た。

高校時代、彼は団体戦で全国制覇を成し遂げ、
大学時代も個人戦で全国上位に入った。

背丈はそんなに高い方ではない。
しかし、立ち会うとなぜかわからないが、動けなくなる。威圧感?

「どうしようどうしよう」

そう思っているうちに、彼の体、剣先は私の間合いを犯してくる。
ずずずっ、と正中線が割られていく。

「来る!」

そう思ったころには頭にずしりとした感触が残っているだけだ。


「普段どんなこと考えて立ち会ってるの?」
「いや、なんも考えてないよ。」
彼に質問すると、たいていお茶をにごしたような答えが返ってきた。

だが、一度だけちゃんと答えてくれたことがあった。


「こっちは、決めてるんだ。『メンに行くぞ』って。
それで、相手に問いかけるんだ。

『俺は行くよ。で、お前はどうする?』ってさ。

そこで、動揺してくれればその隙に打ち込めばいい。
動かなければ、そのまま打ち込めばいい。簡単なことだよ。」
 

日本財団CANPAN のサイトにインタビューが載りまして

音楽療法で福祉の現場を幸せに
http://blog.canpan.info/canpan_report/archive/3

先日掲載が始まりました。

インタビュー自体は09年2月23日。全くの介護福祉初心者で、
知り合いをたよりに必死こいてヒアリングをはじめた頃だ。

そういえば、ヒアリング第1号は、剣道道場の仲間だったっけ。
そこから柴田の同級生。その知り合い。そのまた知り合い。
あるいはとびこみで電話かけたデイサービス。
講演会でたまたま隣に座ってた人にも。(なんと10年特養に勤めた人だった!)

どうぞご笑覧ください。

髪の毛がふさふさしているのも、懐かしい。
(3月にほぼ坊主にしたので)

よそ者、若者、ばか者

先週金曜日、社会起業支援サミットというイベントで、
久米繊維工業、久米信行社長のお話を伺った。

その中で強調されたフレーズ。

「よそ者、若者、ばか者だから、変革が起こせる。」
柳田 公市さんという方が提唱された概念とのこと。

私は福祉と無縁の商学部出身。
新卒22歳のときに起業してしまった。
頭脳系というよりはパワー系

よし、そろった。ただし、先達への敬意は決して忘れぬよう。

声に出したい、でも、出せないから、書いた。

思って。でも、声に出せなくて。それでも、伝えたくて、あふれてきた。
そんな言葉にこそ、我々は耳をかたむけるべきじゃなかろうか。

「10年いろいろ」は、高校2年生のときにくも膜下出血で
母が倒れて以来、ずっと介護をしてきた米窪麻友子さんの話。

先日内田さんから本書をプレゼントされて、読んだ。
米窪さんの心中、奥ゆかしく差し出された心境になって、
むさぼるように一気に読んだ。

あまりに感動して、内田さんから著者の米窪さんに
転送いただこうと書いたメールが、以下。

On Wed, 17 Jun 2009 01:22:13 +0900(雨の日です)
株式会社リリムジカ 管 偉辰 wrote:

柴田から私に番が回ってきました。
本日、頂戴した「10年いろいろ」を拝読。
帰りの電車、母に乗せてもらう車の中、食後カーペットの上で。
2時間弱。一気に読みました。

読後、お風呂に入って、1通メールを書いて、
今この感想を書いています。


覚えているのは、お母さんの顔写真。
不思議。先生をしているときよりも、
ご病気になられた後のほうがいい顔をされている。
ぜんぜんちがう状態になって、
むしろ前よりもみんなが本人を見るようになったからかな?

「歌の先生」としてみられるときの顔。
肩書きがなくなった、一人間として見られる顔。
後者のほうが、しこりしがらみがないからでしょうか。


もうひとつは、お母さんがご病気になられた瞬間。
米窪さんは悲しい気持ちになろうとしたが、うまくつながらなかった。

私もそうでした。大学3年の6月。私のおじいちゃんは亡くなりました。
当時私は学生ながらインターネットの会社に入って3ヶ月。
生活は多忙を極め、お葬式では久々に時間の長さを感じた。
日ごろの疲れからか、お経の最中に眠りこけてしまい、母に怒られた。
「悲しい」という感情がおきませんでした。
なぜ悲しくないのだろう?自分のこころを疑いました。
私は冷たい人間なのかな・・・?

祖父の存在とちゃんと向き合えるようになったのは、
つい最近です。リリムジカの仕事をして
お年寄りに会ってきて、そういえばおじいちゃんって?
父に聞き、四面楚歌の話。え~!そうだったの?
向き合うというか、存在をみとめる。
米窪さんも、自分のものだと実感できる涙をながすまでに
時間がかかった。似ているのかな、と思いました。


感想、取りとめもなくなりましたが、
米窪さんにもぜひお伝えしたく存じます。
先日いただいたメールの書面に
メールアドレスが載っていました。
 xxx@xxx.com(※ダミーのURLです)
こちらお送りしてもよろしいですか?

--

リリムジカ 管 偉辰

今この感想を読み返しても、読んだときの感動がよみがえる。

どうしてこんなに自分のことを素直に書けるのだろう?
どうしてこんなにおだやかな気持ちでいられるのだろう?

その過程が、この「10年」、か。
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