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リリムジカ荻窪事務所、利用終了のご報告

リリムジカでは設立直後の2008年6月以来、
荻窪に事務所をおき、仕事を進めてきました。


去年の夏までは、ほぼ毎日事務所に行って仕事をしてきました。

柴田は事務所に楽器を置いていたので、ここが拠点。
自宅~事務所~仕事場の施設~事務所~自宅という動きでした。

一方、私は荻窪で資料をつくったり、経理をやったり。


昨年10月に子どもが産まれてから、
体制に変化が出ました。

できる限り家にいて妻をサポートし、
子どもを見られたら、、。


そう思って、まずは仕事の時間を調整しました。
それまでは朝10時に出社が基本でした。

日中は事務仕事をしたり、施設を訪ねたり。
夜は集まりや勉強会に出る。週に2~3回くらい。

24時前後に帰ってきて、お風呂に入る。
その後メールを1~2時間ほど。

25~6時くらいに、寝る。
寝たと思ったら、赤ちゃんが泣く。

それでも翌日7時半くらいに起きて、事務所へ。


管は2~3人いるのではないか?!
まことしやかに噂が流れ始めたのはこのころです。


でも、正直、さすがにちょっとしんどかったです。
それで、柴田と相談して出社の時間を遅くしました。

13時ごろの出社にするようにしました。

朝は9時くらいに起きて、洗濯を手伝ったり、
ごはんのお皿を洗ったり。

それから家で少し仕事。
昼前に荻窪に向かう、という生活でした。

後半はそれまでと一緒。


午前中にちょっと仕事をする。
「仕事をする」ということは、家で働ける体制をつくるということです。

パソコンを設定したり、机を用意したり。

家で仕事ができる。
すると、あることに気がつきました。


あれ?毎日何のために事務所に行っているのだろう?

早いプリンタで資料を印刷すること、銀行に行くこと。
これくらいしか思い当たりませんでした。

むしろ、移動時間(一日往復3時間)や、
交通費(定期代月2万円)がもったいなく感じられました。


3月のおわりごろ、何かの弾みで柴田と話しました。

「うちって、事務所いるのかな?」

「・・・いらないよね。」


思えば音楽療法士は直行直帰だし、
私の仕事はパソコンさえあればどこでもできる。

スケジュール管理は1月から導入したiPadで十分。
会議で決めるようなことも特にありません。


このようにして、脱オフィスの方針が決まりました。

それから、4月中の撤収に向けて不動産屋さんと
連絡をとったり、ものを片付けたり。

とうとう昨日4月28日に、事務所を完全撤収しました。


事務所があっても、なくても、
これまでどおり頑張って参りたいと思います。

みなさん、今後ともよろしくお願いいたします。
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譲れること、譲れないこと。

《 多くの人に喜ばれるサービスの形を確立する 》

サービスとしての音楽療法提供に携わる者として、
これは常日頃から目指していることです。

しかしながら、サービスが完成し固定化することへのおそれも、
あわせて感じています。

リリムジカが初めて高齢者の施設でサービスを始めたとき、
私はなぜ自分たちが選ばれたかよくわかりませんでした。

なぜなら、実績もなく、音楽療法の具体的な方法論もなかった。


そこで、しばらくしてからそのホームの施設長に
インタビューをしました。

なぜ、リリムジカと一緒に仕事をしようと思ったのですか?

“君たちが、未だ、固まってないからだよ”


この意味は、とても深い。

一般的に、経験を積み、専門家になればなるほど
信頼できると考えられている。

そうではなく、固まっていないことが良い。

どういうことだろうか。


日々働き、手法や理論を高め培う。
そうすると、課題解決の確率が高まる。

一方、過去有効だったパターンへのこだわりも出てくる。
本質的には異なる問題に対し、同じ解決方法を適用しようとし始める。

「これが私のやり方です」

そして、目の前の人のニーズが、思いが見えなくなる。


私は、こうした事態に陥ることを避けたいと思っている。
では、どうしたら良いのだろうか。


譲れるものはすべて譲る。
これでいきたいと思っている。


ときどき、こんなことを言う人がいる。

譲れるものと譲れないものを明らかにしなさい。
そうすれば自分という人間が見えてくる。

とりわけ、就職活動や転職活動のときに、こんなアドバイスがなされる。


しかし、何が譲れるもので何が譲れないものか。
果たして最初からわかるのだろうか。

譲れないと思っていたものをあっさり譲ってしまうケースはいくらでもある。

食べ物の好き嫌いはその典型だ。

私は子どもの頃、茄子が嫌いだった。

だが今は茄子が大好きだ。
浅漬けも、おひたしも、素揚げも茄子カレーも。


譲れないものを自ら定義することが
無礼にあたるとすら思える。

もし目の前にそれを求める人がいたときに、
私はその求めを無視するのか。無視できるのか。



では、私は場の求めに応じてすべてを
受け入れなければいけないのか。

いや、安心していいだろう。

どれだけ自分を変えた、譲ったと思っても、
無意識的に譲れなかったものは必ず残る。

これまでの人生、経験からはからずも
自動的に選択をしているはずだ。

私はこの無意識的な自分を信じる。


譲れなかったものは、本当の自分の軸は、
いずれ周囲がそれを見つけるだろう。

自分は真摯に、愉快に生きたらいい。

「管さんは、いつも一生懸命だったね。愉快だったね。」

私がこの世を去ったあと、
こんな声が二言三言あれば、それで十分だ。

いや、なくたって構わない。

臨床美術体験。右脳で描く。左脳で描く。

110417

昨日は山神美喜子さんに進行いただき、
臨床美術の体験&食事勉強会を行いました。


絵を描くにはふたとおりある。

左脳で描くか。
右脳で描くか。

左脳で描くとは、たとえば、

「りんごを描いてみましょう」
「ポストを描いてみましょう」

誰でも同じになる。
正解がある。


一方右脳は。

イメージ、抽象。

りんごが丸いとは限らない。
ポストが赤いとは限らない。


臨床美術では、右脳で描くとなっているそうです。


まず、二人ずつペアになる。

「墨汁に割り箸ペンで線を引きます」

交代交代。

面白いな~と思う描き方。

ズリズリ描いたり、シュュと描いたり。


ある程度ひいて、もういいかなと思ったら、
二人の暗黙の合意で今度は、色。

オイルパステル。

クレヨンやクーピーのようでいて、
それでいて粉っぽくない。のびがいい。

そういう画材だそうです。


交代交代で色を。
点点したり、塗ったところを指でのばしたり。


頃合いをみて、完成。
できた作品はみんなで見せっこしました。

時計まわり、、。

隣の佃さんから絵がまわってきて、
これ、格好いいですね!


、、自分が描いた作品でした。

被災地診療所で患者さんをみるお医者さん

昨日テレビで被災地診療所で
患者さんをみ続ける医師が出ていました。

みんな大変の時期。


患者さんが診察室に入ると、
ゆったりした医師のたたずまい。

「具合はどうですか」とにっこり。

患者さんの頬が安心で緩む。

「それでうちの父ちゃんがさ、母ちゃんがさ、、」


究極は、この雰囲気だと思います。


会えた。うれしいな。安心だな。

薬屋さんでも、お医者さんでも、音楽療法士でも。
もちろん、コーディネータも。


そのために、日々思想と技術を磨きます。

言葉じゃないから、伝わることがある。

心の安定。あるいは、余裕。
これは生きる中で極めて重要。


学生時代、心と体がむちゃくちゃになって、
どうにもならない、、。
学校の保健室に相談にいったことがあります。

カウンセラー然とした社会学部の教授がいました。
「どうして?」「どう思う?」
いろいろ質問されました。


自分でもわからないから、
困っているんじゃないか!

と気づいたのはずいぶんあとのこと。

保健室には3回、通って、
そのうち“まぁいいや”と開き直りました。

あのころ、
両親は、家族は、ずいぶん心配したと思います。


リリムジカのホームページには
「言葉じゃないから、伝わることがある」
と書いてあります。

これは、去年ホームページをリニューアルするときに、
何かキャッチコピーを、と思ってひらめいた言葉。


言葉というのは、はっきりしている分、
雰囲気や気配が捨象されてしまう。

大事なのは、言葉の中身そのものよりも、
間であったり、表情、とかいろいろ。


「言葉じゃないから、伝わることがある」

ひらめいた当時に増して、
的を得たコピーだなぁ、と思っています。
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