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リリムジカをつくってから3ヶ月くらいまでのこと

おはようございます。管です。

昨晩のメールで、私がリリムジカを頑張ろうと思った
最初の理由を書きました。


多くの人が音楽療法を仕事にすることを諦めていました。

それに対し柴田は音楽療法を対価を得られる
仕事にしようとしていました。

私は柴田の負けん気と覚悟に共感しました。


この出発点を考えると、私がすべき仕事とは
音楽療法士の頑張りをお金に変えること。

すなわち、音楽療法を商品にすることです。


商品づくりとは何か。

「誰のための商品か?」
「何が特長か?」
「価格はいくらか?」

といった問いへの答えを決めることです。

この点についてはこれから順々に考え、
明らかにしたいと思います。


さて、2008年4月に柴田と二人で設立したリリムジカ。

資本金は60万円でした。
内訳は柴田が39万円、私が21万円です。

柴田の方が多いのは、「柴田さんが言い出した会社だから
柴田さんが多くお金を出すのが自然だよね」という考えによるものです。

大学生に毛が生えた社会人にとっては
60万円もなかなかの大金です。

しかし、この60万円。
驚くべきスピードでなくなりました。

まず、設立の時点ですでに半分くらいになりました。
登録免許税やら収入印紙代やらで20万円以上かかります。

その後事務所の敷金を預けたり備品を買ったりして、
6月の終わりには二人で出し合った60万円はほぼ無くなりました。

無限にあるように思えたのに、、!!

当時は無くなっていくお金を自覚するのが怖くて、
経理もロクにやりませんでした。

「6月の終わりに無くなった」というのは、
その後勇気を出してつけた帳簿をたった今見返して
知ったことです。


1円で起業できるといわれていますが、
実際にはそんなの無理です。

お金が全然なくてもやっていけたのは、
親の支援があってのことです。

柴田は実家からの援助があったし、私も実家に住んでいました。


全然お金はなかったのですが、
2008年夏の時点で焦りはありませんでした。

今振り返って大きかったのは、経理をロクにやらなかったお陰で
「お金がない」という現実に直面せずに済んだことです。

「今は無給だけどそのうち何とかなるサ~」

と思っていました。


商品についても、じっくり考えていこう、
という構えでした。

2008年の春から夏にかけてやっていたことは、
音楽療法の本や経営の本を読んで勉強すること。

それからNEC社会起業塾(現社会起業家イニシアティブ)への
応募と参加でした。


何とかなるサ~、のお気楽パラサイト起業家でしたが、
2008年秋ごろになると、だんだんそわそわし始めました。

リリムジカの商品が一向に定まりません。

売上は柴田の学生時代からのつながりで行っていた
障害のある子どもたちとの音楽活動(月1回)だけでした。

相変わらず帳簿はつけていませんでしたが、
売上がないことくらいはさすがにわかります。

あれ?もしかして俺たち何とかならない??


何とかならないなら、やめてしまうという選択もありました。
しかし、私はリリムジカをやり続ける選択をしました。

本来はこの文章でその背景を書く積もりでしたが、
創業期のことが意外と長くなりました。

次回こそ、私のリリムジカに対するスタンスが
「頑張ろう」という願望から「頑張らねばならない」という決意に変わった
背景を書きたいと思います。
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リリムジカを頑張ろうと思った最初の理由

こんばんは、管 偉辰です。
時刻は12時をまわり、8月も最終日になりました。

社長になって今日で2ヶ月です。

この2ヶ月は、新しいセッション現場の立ち上げ支援と
セッション後に行う「振り返り」のやり方改善に取り組んできました。

それぞれその場その場で必要があり、行ってきたことです。


一方、これからのリリムジカの成長を考えるにあたり、
中長期的な計画を策定する必要性も感じるようになりました。

そもそもリリムジカとはどうやってうまれた会社か?
どんな社会を目指しているのか?
得意分野は何か?これから何に力を注ぐのか?

これらの問いにこたえながら、
今後のことを考えていこうと思います。


はじめに「リリムジカはどうやってうまれたか?」について。

リリムジカはものすごく端的に言えば、柴田と管が
お金を出し合って2008年4月につくった会社です。

その起源は前年の2007年、夏にさかのぼります。

当時私は一橋大学商学部の4年生。

IT企業で修行をしていたため就職活動をしておらず、
これからどうしようと考えていました。

そんなとき、友人に誘われた勉強会に
参加していたのが柴田です。

柴田は当時昭和音楽大学音楽療法コースの4年生でした。

「音楽療法の会社をつくりたいんです!」
「会社をつくるにはどうしたらいいですか?」

勉強会の講師だった杉浦元さん食らいつく姿が印象的でした。

すごい熱意だな、、。


興味をもって聞いてみました。

「どうして音楽療法の会社をつくりたいの?」

「音楽療法を学ぶ学生はみんな頑張っている。
 私も4年間で授業や実習で200単位以上は取りそうだ。
 でも、いざ仕事となるとみんな音楽療法士以外の道に進む。
 先生に相談しても『音楽療法士は食べていけないからやめておきなさい』という。
 音楽療法には価値がある。と私は思う。
 音楽療法を仕事にすることに取り組む人がいないなら、自分がそれをやろうと思った。」

何かができないと、それを環境のせいにして諦めることが多い世の中です。
その中で柴田さんの姿勢は前向きでいいな、と思いました。

自分は音楽療法のことは何も知らない。
でも、だからこそ役に立つかもしれない。

柴田さんのために頑張ってみよう。
そう思ったのがリリムジカと私の始まりです。


リリムジカを始めてみて、それが私自身の使命感と重なるのは、
実はこのときから更に1年半先、2009年4月のことです。

明日は私が「音楽療法を介護福祉文化の発展に役立てたい」
という考えを持つまでの軌跡を振り返ろうと思います。


(追伸)

そういえば、当時はリリムジカという名前も決まっていませんでした。

ミュージックセラピーだから「ミュッピィ」にしよう、
という素晴らしすぎるアイデアも出ました。

素晴らしすぎたのでボツになりました。
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