ミュージックファシリテーターは触媒たれ。

「でも、本当のプロの演奏家には敵わないのでは?」という声をいただいた。それに対する回答を考えてみる。

ミュージックファシリテーターと演奏家は、「音楽を仕事にしている」という点では共通する。しかし、両者がもっている役割は、実は異なっている。

演奏家は、単純にいえば自らの表現で人の心を動かす。最高の表現を追求する。生の演奏はやっぱりすごい。

一方、ミュージックファシリテーターは触媒である。彼らがいることで、その場にいる人が自分自身の表現に満足し、他者の表現に気づけるようになる。「最高の表現」がミュージックファシリテーターのゴールではない。表現はあくまで手段である。

「最近歌がうまくなったと思うのよね」
ファシリテーターの柴田が音楽プログラムの参加者からこんなことを言われるという。
良質な結果のひとつである。

そして、僕は介護の現場においては演奏家よりもファシリテーターの割合が多い方が良いと思っている。

なぜならば介護の現場は、とりわけ介護施設は、「そこに居たくて居る」人だけで構成されているわけではないからだ。

コンサートであれば、ほとんどの人はそれを求めてやってくる。だから、聴衆の期待にこたえるベストをつくせば良い。

しかし介護の現場は違う。そこで最初に求められることは「私の最高の表現をします!」という姿勢ではない。そこにいる人たちがどんな人たちなのか、何を考えているのかを真摯に知ろうとすることだ。独りよがりに表現をしても、ぽかーんという反応が待っている。

演奏家とミュージックファシリテーターを対比して書いた。しかしこれは◯◯さんと□□さんというような比較の話ではない。

一人の人間の中に、演奏家性とファシリテーター性が両方ある。場に応じて配分を考えるべきだということだ。これは、「演奏ボランティアを続けているけど意味があるのか不安だ」と思っている演奏家へのアドバイスにもなると思う。

「介護の現場における音楽」だったら、ミュージックファシリテーターは、美空ひばりにも負けない価値が出せる。僕はそう考えている。