FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シンポジウム「脳と芸術とAIの共存に向けて」で出た4つの問い

180123.jpg

1月21日(日)、玉川大学学術研究所 先端知能・ロボット研究センター
略称AIBot(あいぼっと)研究センター主催のシンポジウムに参加してきた。

第1部は生演奏と映像の組み合わせが人間にどう作用するか、聴衆を交えての実験。
第2部は脳・芸術・AIをテーマにした講演とパネルディスカッションだった。

研究者の方々のコメントがきわめて興味深かったので、
4つの問いという形で紹介したい。

1.音楽聴取や合唱は人間の社会性を促進するか
人が人とふれる幸せを感じるときに分泌されるオキシトシンというホルモンがある。

AIBot研究センター主任の岡田浩之先生によると、
玉川大学では音楽を聴いたり合唱をしたりすることが
オキシトシンの分泌にどう作用するかの研究を始めたとのこと。

音楽体験によってオキシトシンが分泌され、
それによって人の行動が変容する。

リリムジカの仕事にも極めて関係が深い。
グループで行う音楽体験が、居合わせた人の人間関係に作用しうる。
経験的にそう感じてきたが、今までは生理的に
どのような作用があったのかがわからなかった。

オキシトシンを調べることによって、生理的な作用を理解できる可能性がある。
ぜひAIBot研究センターの方と一緒に考え深めていきたい。

2.人工知能は心を持つか
脳科学総合研究センター特別顧問 甘利俊一先生からはこの問いが発せられた。

ロボットが人間の心の動きを理解し、それに沿って対応する。
すると人間は「ロボットが心を持った」と勘違いするかもしれない。

しかしここで、ロボットは本当に「心を持った」と言えるのか。
心を持ったと感じさせる計算のからくりを持っているにすぎないのではないか。

このような趣旨の問いかけであった。

ただ、本質的に「心を持った」と言えなくても、
「心がある」と思わせれば十分かもしれない。

これまで私は、機械にできない人間のはたらきとして
「他者に期待すること」を挙げていた。

たとえば重度の認知症の方のそばで
「もしかしたら一緒に歌えるかもしれない」と願いながら歌いかける。

「一緒に何かをしたい」という期待は、目には見えないけれど、
相手に伝わって、音楽になって出てくることがある。

期待こそが、機械ではなく人間がはたらく意義だと思っていた。

しかし、この「期待している」という心。
そこからうまれる所作を機械が学習して表現できるとしたら、、。

人間がやるよりも効果的に、
結果(本人が心から望むかどうかは別として)をもたらすかもしれない。

ダイエットアプリは利用者の記録に応じて応援の言葉を投げかける。
「10日連続記録!その調子です。」「目標まであと1キロですよ。がんばっていきましょう!」
ブレのある周囲の関わりよりも継続につながるかもしれない。

ソーシャルゲームはログインのたびに「○○(名前)、おかえりなさい!」と声をかけてくる。
喧嘩中の家族に不機嫌に「おかえり」と言われるよりも、またログインしたくなってしまう。
実際のところゲームのプログラムは、ユーザーがまたログインして嬉しいなどと少しも思っていない。
「ユーザーをまたログインしてもらいたい」という開発者の意図があるだけだ。

3.同期に価値があるのか。相互作用に価値があるのか。
パネルディスカッションで塚田稔先生(玉川大学 名誉教授)が
ダンスについて話題提起した。

一般の人は、ペアの動きが同期・一致していることが美しさにつながると考えている。
しかし本質は違う。一方の動きを他方が受けて、自分の中で統合し、相手に返す。
たとえ相手が素人でも動きを受け止めて返すことで、踊りを創造する。

私の理想とするミュージックファシリテーターも同じだと思った。
居合わせた多様な人の多様な発信を受けて、音楽をつくっていく。
ただ曲を消費するのではなく、たとえ既成曲であっても新たな音楽を創造する。

とはいえ、同期や調和と相互作用による創造に
必ずしも優劣があるわけではない。

たとえ自分と目に見える相互作用が起きていなくても、私たちは感動しうる。
2017年紅白歌合戦における三浦大知氏の無音ダンスは素晴らしかった。

一方、相互作用の中で思いがけない力が発揮できて感動することもある。

4.どのような刺激が脳を最もクリエイティブにするのか
第1部の演奏と映像について「素晴らしかったけれども、
映像がない方がよい瞬間もあった」という指摘があった。

甘利先生によると、脳は自分自身で世界をつくっている。
うまくすれば、目の前に起きているリアリティ(今回で言えば演奏と映像)と
自分のイマジネーションのインタラクションが起きる。

しかし、刺激が強すぎるとイマジネーションをする余裕がなくなる。
この感覚は私も理解できた。

というのも、実際に第1部で「桜」をテーマにした曲の演奏のとき、
次々切り替わるスクリーンの映像をうるさく感じたこともあったからだ。

なかなか集中できなくて、最終的には視線を奏者に集中し、
映像は背景だと思うことにした。

刺激の中身も重要だが、タイミングと間隔も重要ということだ。


今回のシンポジウムは、知的に大いに刺激されたし、
リリムジカの仕事にも活かせそうだ。

登壇者の皆様、AIBot研究センターはじめ主催の皆様、
素晴らしい機会をありがとうございました。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。