【 第3回 】 全国初の体系的カリキュラムには定員の約20倍の応募

09年1月5日のエントリーの続きです。

音楽療法講演会で、会場収容人数2倍以上の市民800人を集めた
奈良市の音楽療法検討委員会。市民の期待を受け、彼らは音楽療法の
サービスインを目指しますが、ここで大きな問題が発生します。

それは、サービスの担い手となる人材がいなかったこと。いくら期待や希望が
あっても音楽療法士がいなくては、音楽療法を行いようがありません。

本日は、検討委がこの問題をどのように乗り越えたかについて書きます。

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市の福祉サービスとして音楽療法を行うためには、音楽療法士の雇用が
必要でした。しかし、当時はまだ音楽療法を教える教育機関が少なく、
前述のとおり音楽療法士を確保することは難しかったのです。

そこで検討委は、一大決心をします。音楽療法の体系的な教育カリキュラムを
独自で作成することにしたのです。1994年当時、音楽療法の体系的なカリキュラムは
ほとんどありませんでした。ですから、これがいかにチャレンジングな試みで
あったか、ご想像いただけるでしょう。

検討委は、カリキュラム作成推進のために、音楽療法
審議委員会(以下審議委)を設置します。

審議委は、音楽療法先進国であるアメリカやオーストラリアのカリキュラムを
ベースにしました。全米音楽療法協会や、オーストラリア音楽療法協会が認める
資格認定基準やカリキュラムの内容を積極的に取り入れていったのです。

こうして完成した養成コースは、1350時間を1年8ヶ月もの歳月をかけて学ぶ長期間の
ものになりました。音楽療法とその周辺領域に関する講義と実習を行うだけでなく、
多様な音楽療法の手法を比較研究するゼミも行いました。こうして、様々なニーズに
対応できる音楽療法士を養成するコースが誕生したのです。

このコースにどれくらいの人が応募をしたか?なんと、奈良市をはじめ全国から
約300人もの応募が集まりました。選考に残った人数が15名なので、
実に約20倍の倍率でした。その秘訣は、この養成コースの修了生に、
市の正規職員として音楽療法サービスを行う道を確保したことです。
大学を出ても職が保障されない2009年現在と比べれば、これがどれだけ
夢のような待遇であったか、ご想像いただけるでしょう。

こうして誕生した養成コースで学んだ音楽療法士たちは、97年3月に
奈良市音楽療法士の認定を受け、4月には奈良市社会福祉協議会の職員として、
採用されます。同時に、その認定音楽療法士を中心として、奈良市音楽療法
推進室が設置され、音楽療法のサービス提供が始まりました。


こうして順調に進展し始めたかに見えた奈良市の音楽療法事業。
しかし、サービス導入にあたって彼らは、ある壁にぶつかります。

音楽療法が、音楽療法として認知されないのです。
当時は音楽療法の内容が現場レベルで知られておらず、
レクリエーションだとばかり思われていたのです。

この点を音楽療法推進室がどのように乗り越えていったか。
最終回は、この点について書きたいと思います。
市民の期待を受けて音楽療法事業を進めようとした奈良市音楽療法審議委員会。しかし、1995年当時はサービスの担い手になるに足る人材がいませんでした。まだ音楽療法を教える教育機関が少なかったからです。そこで審議委員会は異例の行動に出ます。音楽療法を学ぶ体系的なカリキュラムを、独自に作り上げることにしたのです。
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