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書道の時間に「四面楚歌」と書いた、私の祖父

「私の仕事」の続き。



「介護や介助を必要とする方が自分らしく輝ける瞬間をつくりたい」
私はそう思って日々仕事をしています。その背景には、今は亡き祖父の記憶があります。

私の祖父は、若いころ台湾で教頭先生をしていました。
私の父を含め6人いた子どもたちは、成人して続々と日本へ。
年齢を重ね、祖父は息子たちの住む日本に移り住みました。

性格は社交的、おしゃべり好きで心やさしい。
私も、書道を教えてもらったり、肉まんやおでんを
買ってもらった記憶があります。
80歳になっても、一人で高尾山に登るような元気な人でした。

しかし、そんな祖父も骨折をしてから体力が衰え、
家族と一緒に暮らすのが難しくなりました。
祖父は私の実家から車で40分ほどの有料老人ホームに入りました。
私が高校生のころです。

最初の頃、祖父はホームでの生活を楽しんでいたようです。
台湾では昔日本語教育がなされていましたから、
ホームの同居人とのコミュニケーションには問題ありません。
工作や手芸等のアクティビティも祖父の生活に色を添えていたようです。

ところが「人と話がしたい」その想いはだんだん叶わなくなりました。
話がしたくて職員さんをに声をかけようとも、いつもいつもとはいかない。
同居人に声をかけようとも、認知症の進んだ方が多くなっていた。

父の話によると、祖父はだんだんふさぎこむようになり、
元気がなくなっていったそうです。一方私は大学生になりました。
自分の生活や楽しみに時間を費やし、祖父に会いに行くことは
殆どありませんでした。

唯一覚えているのが、一度だけ父と老人ホームに行ったときのこと。
昔、「いっちゃん、いっちゃん」と私を呼んでいた祖父。
もはや私のこともわからず、車椅子に座り、「んあぁあ~?」
ただ、うなりごえをあげていました。

父からこんな話を聞きました。

あるとき父が面会に行くと、ホームで書道をやっていました。
祖父は元教頭先生であり、書道もうまかった。
「さぞかし楽しんでいるのだろう」父はそう思ったそうです。

実際、祖父は熱心に字を書いていました。
そこで父が、何を書いているのか横からのぞき見てみると、
半紙にはある四文字熟語が書かれていました。


四面楚歌


父は、心がくだける思いをしたそうです。
家族のため自分のためにこんなにがんばって生きてきた
人間の末路は四面楚歌なのか。

この話を聞き、私は祖父への申し訳なさを感じました。
同時に、自分の将来へのこわさも生まれました。
「私の人生も、同じように終わってゆくのかな」
私も、しばし心が沈みました。

が、今は次のように思っています。

がんばって生きても、最後は一人ぽっちになるものだ。
果たして本当にそうか?
いやいやそれが真理かどうかは別として、それでは明るくない。
介護の助けを得て生活している方が少しでも笑顔になる。
まずはそんな瞬間をつくってみよう。
職員の方普段の目と、外にいる私たちだからこそできる研究、研鑽。
ふたつが重なれば、きっと、心地よく楽しい空間ができる。

たとえば笑っているお年寄りが増えたとする。
そうすれば、もしかしたら今、不安を抱えて生きている人も安心して、
本来なすべきことに全力になれるのでは!

小さな幸せを重ね、明るい社会の実現に寄与できればと思っています。

※二つの自己紹介。2009年の5月に一度書きました。
 2010年7月。その後の仕事をふまえ、書き直しています。
 
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