人間のすべてを観ることについて

昨日は朝日新聞社の岡本峰子さんにお誘いいただき、
聖路加看護大学でのシンポジウムに参加してきました。

30年後の医療の姿を考える会 第5回市民公開シンポジウム(PDF)

基調講演は一橋大学社会学研究科の猪飼周平さん。

「医学モデルではなく生活モデルで人を観る」

病気を治すことを至上命題にするのではなく、
QOLとかその人の物語性にまで入り込んでケアする。

このような流れが生まれている、というお話でした。


この感覚に賛同します。

お医者さんに行って、病気に絞りすぎた対応を
受けることによってかえって不安になる。


先週、腹痛と発熱によりお医者さんに行きました。

満員の待合室で順番を待ち、具合だいぶ悪かったので、
救急室で横になってさらに待つ。

名前を呼ばれ、ヨロヨロと診察室へ。

「服をあげてください」
冷たい聴診器がヒヤッと胸につく瞬間。

ちべたい。

私はものの温度を感じる人間である前に、
病気をもつ箱である、とみられているのでは?

そんな感覚に陥りました。

(その分、看護師さんが「具合いかがですか?」とか
話を聴いてくださるときの安心感は大きかった!)


我々が提供する音楽療法も、
人全体を観ることを大事にしています。

治せない認知症の人。
元にもどすこと不可能な片マヒの人。

こういう観点からだけで人をみるのではなく、
これまでの人生とか、家族関係とか、好きな食べ物とか。

物語性に重きを置いてコミュニケーションをとります。

その上で、一人一人が楽しさを感じ、
今此処この瞬間を共に生きる。


 ちなみにこの「物語性」という言葉は昨日のシンポジウムで
 中村順子さんが使っていたものです。

 私の考えに、実にフィットする言葉でした。


ここで気をつけなければと思うのは、
「その人その人の今」を共に生きるときに、
医学モデルの知識が全く必要ないわけではない、ということ。

この癌はなおりません。認知症の進行はとまりません。
だから今この瞬間を生ききるしかありません。

こういった思想を強要するものではない。

たとえば認知症の周辺症状が出ているときに、
その原因を考慮せず、
認知症なので受け入れるしかありません。

とか。

こういうのはプロとしてあるべき姿勢ではないと思います。

精神性を語るときほど、物理的なことに注意を払う
必要があるということです。


医学的にどのような対応が可能なのかをきちんと理解する。
対応策がないのか、その策がなんらかの事情で使えないのか。

この背景まで理解したうえで、
音楽療法をサービスとして提供していきたいと思っています。

一点に集中しながらも、なお全体を観る。
木を見て森も見るような視野が必要です。
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