私とリリムジカの関係がどのように進展していったか(目次)

先の記事で、柴田と出し合ったリリムジカの資本金60万円が
あっという間に無くなったことを書きました。

リリムジカは会社をつくって半年たっても、
何を事業の核とするかが、定まりませんでした。

なぜ音楽療法を売りたいのかという理由についても、
「柴田さんの力になりたいと思った」以上のものはありませんでした。


うまくいかないなら、やめるという選択肢もありました。
けれど、手を引きませんでした。

やめたら影で色々言われるのだろうな、、。
それだけはイヤでした。


そんな私でしたが、出会いに恵まれて、
今もリリムジカを頑張っています。

その経緯について、これから書こうと思います。


振り返ってみると、私とリリムジカとの関係は
いくつかの段階をへて進展しました。


1.柴田の思いを助けられればいいな、という段階(2007年夏~2008年春)

2.音楽療法をどう売れば良いのかわからない焦りの段階(2008年秋)

3.介護に携わる人の思いを知り、彼らの役に立ちたいと思う段階(2009年早春)

4.音楽療法士の現状を知り、彼らが活躍しやすくなる方法を模索したいと考える段階(2009年春)

5.祖父の事情を知り、生活者として音楽療法を介護に役立てたいと考える段階(2009年春)

6.商品としての音楽療法に自信をもつ段階(2010年夏)


1と2については前回前々回のメールで
あらかた書けたような気がします。

これから3について書こうと思いましたが、
そろそろ出かけねばなりません。

今日はリリムジカの音楽療法士そろっての
研修会「り会(リリムジカの会)」を行います。

福祉コーチの植村ゆかさんにご協力をいただきます。


3の「介護に携わる人の思いを知り、彼らの役に立ちたい」と
思った経緯については、今晩振り返ろうと思います。


6つの段階を挙げてみて、
「ずいぶん贅沢をさせてもらったな」と感じます。

じっくり、仕事の意義を考えあたためてきました。

この間生きながらえさせてくれた家族や社会に感謝しています。
コメント
コメントの投稿(管理者の承認の後、反映されます)
管理者にだけ表示を許可する