医療はこのままで良いのか(在宅医療カレッジ特別企画 登壇者発言メモ)

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本日は在宅医療カレッジ特別企画に参加してきました。
年内の予定では、このイベントが最後です。
内容、とても重厚でした。忘れないうちに登壇者の皆様の発言メモをまとめます。
なお、私のノートからの書き起こしです。すべての発言を網羅はしていません。
また登壇者様の意図を正確には反映していない旨、予めご理解いただけると幸いです。
登壇者の皆様の肩書は、上のリンク先のページにてご確認ください。

●佐々木氏
医療はこのままで良いのか。
品質の面でも、財源の面でも。
誰も明確なこたえをもっていないのではないか。
今日の場をその手がかりにしたい。
まずは西村先生、オーバービューをお願いします。

●西村氏
オーバービューということで5つの観点を話したい。
1.ケアの継続性。生涯の継続性。24時間切れ目なくという意味の継続性。
以前は在宅復帰すべきだと考えていた。
今は在宅ときどき施設というあり方も考えられるのでは、と思うようになった
2.ターミナルケアについて
以前は人生観・宗教観と絡めないとターミナルケアを語ってはならないと思っていた。
今は人生観・宗教観は考えるべき視点のひとつだととらえている。
3.多世代共生の観点
4.入れ物とは違う「住まい方」について
私は「夢のマイホーム」世代。
がんばって人に侵入されないプライバシーを守る建築を求めた。
今、果たしてそのあり方が理想的かどうか。
5.地域とは何か。
都市間という意味でも、お隣同士という意味でも。

【第1部 医療と介護】
はじめに秋山氏、宇都宮氏、加藤氏がプレゼン。
その後ディスカッションが行われました。

●秋山氏
キーワードは「つながる、支える、つくりだす」
ずっと個別ケアに終始してきた
しかし、予防にシフトせねばと考え始めている
自分の力を取り戻す支援の在り方とは?

たとえば「当事者が壇上にあがるシンポジウム」を行った
サービスを受けてどうなったかを本人が語る

「つくりだす」ためには情報発信が必要。
それが地域を耕すことにつながる。

多職種による具体的な連携が必要
そのためにはフラットな関係でのディスカッションがいる

これまでとは違う高齢者像の人が高齢者になる。
その人たちの力をどうやって活かしていくか。

●宇都宮氏
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京都からきました。退院支援を行っています。
訪問看護をして「患者さんやないなぁ、生活者なんやなぁ」と感じた。
2000年ケアマネができて「これで退院して暮らせる日本になれる」と思った。
しかし現状はまだまだ。
退院支援は人生の再構築。

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以前は移行支援コーディネートをすればなんとかなると思っていた。
しかし、意思決定支援が必要だと気づいた。
当事者自身が、自分の体に起きていることを知り、つらいけど、苦しいけど、
「それでも自分はどう生きたい?」を考えてもらう。
「ほんまに入院がええんか?」
病院の中には「ベッド空いているし入れたらええやんか」と考えるところもないわけではない
でも、その入院で自宅に戻れなくなる可能性もある。

●加藤氏
認知症は原因のある病気
困っていることがわかりにくいことが問題のひとつ
病気に起因する行動を「認知症」だと思っていませんか?
原因→症状→行動という構造
原因は医師や製薬会社が対応する。
今までの介護は行動に対応してきた。
結果、支配や管理。

アセスメントをとってもそれを見やしないで折り紙折ってた。
「困っていない」という状況をいかにつくれるか
僕(加藤)がお茶を入れたら業務になる。
おばあちゃんが入れたら自立支援。

ヘモグロビンの値が4の方がいた(数値上貧血)
医師は「医師として入院すべきだ」と言った
あおいけあは「入院すべきか」と問うた
このケースでは、入院せず、ヘモグロビンの値は後日戻った

介護職であっても医療職に対等に物が言えるようにする

「お年寄りに楽しんでもらう」
のではなく
「お年寄りが(地域に)楽しんでもらう」

●宇都宮氏
入院したら病院に任せてしまっている。
「どうなっているの」と病院にいえることが大事
帰ってくるのを待っているのではアカンよね

家族でずっと介護していたケースでは、入院しても「奪還する」という意識がある
救急搬送されたケースではそのままになりやすいのでは。

●森田氏
夕張では171床あった病床が19床になった。
19床は満床になったか。
実は5~6床しか入らなかった
入院できないからではなく、入院したい人がいなかった

産業革命以降、業務は細分化された
全体を見られる人がいなくなった
私たちも一緒。
「ここから先は医療」
「心臓は俺の領域」
どうやったら分業のあたまを変えられるか

●加藤氏
あおいけあでは最近「やりたいことをやりきって亡くなる」パターンが増えている

施設の中のことは「労働」
全体のことは「仕事」
領域をはみ出している人が先駆者になっているのではないか

●秋山氏

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亡くなった方のケースについて、関係者がリレー形式で事例研究をしている
それぞれの想いを知ることができる
地域をつくることにつながる

●浅川氏
病院は災害時の避難所みたいなもの
そこに引きずり込まれないようにすべき
さんざん「訪看に連絡して」と言っても夜中のひきつけで救急車を呼んでしまうことがある

「病院にいったらもう関われない」という
制度で行けなくても人情で行けばよいではないか

●西村氏
だいたい入院させたいのは奥さん
できない男のケアをどうするか
あと、妻は夫が亡くなってから15年くらい生きる
その間のケアをどうするか

●佐々木氏
入院させない方が良いのではと誰もが思うシチュエーションでも入院してしまうことがある
結果人生がくるう。このようなケースの入院をいかに防ぐかが重要ではないか。

【第2部 施設か在宅か】
はじめに小川氏、下河原氏、浅川氏からプレゼン。
その後ディスカッションでした。

●小川氏
元住宅メーカー
一貫して住宅供給の立場だった
特養は今のままならいらない?
続けるとしたらどうすべきか、という立場で考える

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2015年のモデル
特養はユニットになり、サ付と小規模多機能が活躍

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特養が残るとしたら地域の拠点になるべき
下河原さんや加藤さんがいっぱいでてきたら特養のミッションはなくなるかも?

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特養は稼動96%でも赤字
加算をとってやっと黒字
看取り(加算がある)までいかに持ち込むか
看取りにもっていって総コストを下げる(厚労省の)もくろみもある
また、たまったお金は利益ではなく繰越金にすべきという話がある
地域に貢献するために使うことが求められる

●下河原氏
建築の力を信じている
住みたいと思える施設が少なかった
認知症になると、感情をつかさどる偏桃体が敏感になる

先ほどまでの高齢者の話
すごくまじめで大変だなぁと思った
楽しさもあると良いと思う
心が動けば身体も動く

銀木犀では管理は一切やめた
なんでもありという状況
入居者が人から感謝されるようにする

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サ高住の看取り率が平均18%なのに対して銀木犀の看取り率は76%。

●浅川氏

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高島平に分散型のサービス付高齢者向け住宅がある

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高齢化率51%の地域
空き家もある。
その空き家をサ付きの部屋にした
スタッフは空き店舗になりがちな商店街の中にいる

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分散型サ付はまだ高島平にしかない
ほかでもやれば、住民は遠くの老人ホームに行かなくて済む

サ高住に介護、看護、診療の3つがあれば
施設や病院はいらないのではないか

●佐々木氏
施設という言葉の使い方をまず考える必要がある
サ付も特養も「施設」という表現ができる
一方特養の利用者が特養を「自分の住まい」と認識しているケースもあった
施設が在宅に近づいている
たしかに高齢になってからの引っ越しは一般的にダメージが大きい
しかし管理ではなくサポートがあれば「在宅」になれる

自宅でその人らしい暮らしを継続できそうなケースは多い
しかし、重くなると多くの人(家族?)は入居を選ぶ
悠翔会でも年間400人程度、入居に伴ってサービス提供がおわる

●加藤氏
認知症重度でも独居の方は在宅生活を続けている
一方家族がいると、家族のストレスで入居になる
「施設入れます」「病院入れます」
自宅に近い環境への住み替えは良いと思う
同時に家族も含めて支える仕組みが必要
「もう無理」になってから助けるのか
日ごろから関係をつくっておくか
責任や覚悟をどこまで持てるかということ

●宇都宮氏
「入口問題」と呼ぶ問題がある
そもそも診断までいかない
サービスにつながらず、へろへろになってから突然施設

●下河原氏
何度も同じ話を聞く家族のいらいらは察しうる
自宅でのBPSD悪化を防ぐにはどうしたらよいか

●佐々木氏
フェイスブックで認知症のことを投稿したら
「仕事としてはできるけど家族としては難しい」
という介護のプロの方がいた
それだけむずかしいのでは

●浅川氏
基本、家族の人はみられない
良いときを見ているからギャップに耐えられない
メディアは美談仕立てが多すぎる
初期のころに家族が(施設入居を)決めてしまう
入ったらなかなか出られない
サジェスチョンは家族がしても良いが決めるのは本人であるべき

●佐々木氏
特養の配置医をやって「特養でもすごしやすい雰囲気のところがある」と思った
カテゴリではなく気持ち次第で管理の「施設」ではなく「自宅」になるのでは。

【第3部 地域とは何か】
はじめに森田氏、田中氏、浅川氏がプレゼン。
その後ディスカッションでした。

●森田氏
夕張。札幌から60キロ。
東京駅からの距離で考えると神奈川県の三浦市あたり。
かつては人口12万人。今は1万人もいない。
若い人はいなくなった。年金があって食べていける高齢者が残った。
高齢化率は48%。
2009年に財政破綻し、病床数は171から19になった。

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75歳以上の人口は増えているにも関わらず救急車の出動回数は減った

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市内特養での看取り率は100%になった。

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高齢者一人あたりの医療費は北海道平均が増えているにも関わらず夕張では減った

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大事なのは住民の意識ではないか

●田中氏

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地域包括ケアの目的は、リロケーションダメージを発生させず
地域で暮らし続けられるようにすること

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桑名市で行ったことの柱は3つ

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施設機能の地域展開

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身近な地域での多様な資源の見える化・創出

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他職種協働によるケアマネジメントの充実

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結果桑名市では要介護認定率が減った

●浅川氏

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樹木希林の広告「死ぬときぐらい 好きにさせてよ」
日本は8割病院で亡くなる。ヨーロッパは5割、オランダは3割。

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デンマークの3原則
1自己決定の尊重→本人第一
2残存能力の活用→自助努力
3生活の継続性→そのままの暮らし

日本の介護保険は2しかやっていないのではないか。
もともと老人福祉法には、第3条に「老人は仕事しなさい」と書いてある

第三条  老人は、老齢に伴つて生ずる心身の変化を自覚して、常に心身の健康を保持し、又は、その知識と経験を活用して、社会的活動に参加するように努めるものとする。
2  老人は、その希望と能力とに応じ、適当な仕事に従事する機会その他社会的活動に参加する機会を与えられるものとする。


介護保険は「どうサービスを届けるべきか」という仕組みの法律
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●佐々木氏
自立支援のむずかしさがある
果たして要介護度がよくなれば良いのか
「自立支援」の公式が通用しないときにどうするのか

●加藤氏
自立支援の先が重要なのではないか
なんのためなのか
良くなったのに在宅続けられなかったら意味がない
特養がどう、サ高住がどうということではなく、それを使って行うことが重要
とはいえ「必要だから特養をつくる」という考えで子どもや孫に顔向けできるか

●田中氏
補足として、自立支援には二つの意味があると考えている
軽度の方には要介護度の改善、重度の方には可能な限り幸せに生きること

●西村氏
浅川さんはサンダース、自立支援の考えはトランプに近い。
自立は大事だが、簡単ではない。自分の実感としても。
自分のこととしても大往生を考えていきたい
あと、祭りをぜひやってほしい

●浅川氏
祭りに賛成。祭りは社会参加である。
今の介護保険は自立支援一辺倒。
悪くなったら本人の責任。ちゃんと食べて元気になろう。
90歳の人がボタンをとめられて、横断歩道を間に合うように渡れて。
そのことにどれだけの意味があるのか。
今の厚労省が自立支援で狙っているのは財源確保ではないか。
財源がない中で良いサービスをするには介護保険の卒業を言うしかない。

●佐々木氏
自立支援が目的化していないか。
筋トレしても行くところがないようでは(意味がない)。
生きるために生きているわけではない。

●森田氏
医療はニーズによってではなく、シーズによって提供される
不要な医療やケアを提供していないか

●佐々木氏
SNSで自己負担が増える話題が出ると
ワッと批判が起こる
しかし、現実をふまえて皆で考えるべきでは

【質疑応答】

●藤沢のPTさん
「何のために」が欠落していることに共感。
一番目的を失っているのが現場ではないか。
制度の中で、お上のことばかり見て、高齢者の声をきいていない。

●浅川氏
施設、病院に連れていくのは往々にして家族。
元気なときから20年たったらどうしたい?ときいておくべきでは

●訪問看護関係者の方
今日は「利用者にどう提供していくか」が中心だった
けれど家族のことも議論すべきではないか
家族ケアはどうあるべきか

●佐々木氏
家族にケアをがんばれというのが家族ケアなのか
家族をケアから離すのが家族ケアなのか
支援が必要な家族ほど支援を求めない現状がある

●下河原氏
サ高住を活用してほしい。賃貸だから嫌だったら出られる。
美味しいところだけを使って。
看取りの時だけ利用してもよいし、
看取りの時だけ帰っても良い。
それから(現在下河原氏が取り組んでいる)VRもありだと思う。
「何回万年筆をなくすの!」
家族として強くは言っていないつもりでも強くきこえてしまっていることがある。

【町学長の総括】

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家族を置き去りにしてほしくない
私たちは介護をする側にもされる側にもなる
必ずどちらかの立場になる
1990年~1999年。片麻痺、末期がんの母を在宅で看取った。
20年前に自分ができたことがなぜ今もできないのか。
これだけの専門職がいて機能しないのはなぜ?
キーワードは秋山さんが指摘した「つながり」に尽きるのでは。
会場にいる600人は情報を得た。しかし外にいる人は情報にアクセスできていない。
つなげる人が必要。
一般の人は「病院から在宅にどうしたら戻れるか」わかっていない。

それから、場所ではなく人。
今日話を聞いて「さんざんいろんな施設をつくって分散型サ付かよ」という思い。
先ほどの高島平。分散型サ高住。
住んでいる人は果たしてサ付きに入ったという意識があるのだろうか
同じ団地内のきれいな部屋に引っ越しただけとおもっているのでは

病院神話は終わったのではないか。
本音がはける環境づくりをぜひ行ってもらいたい。
助けてほしい。
本音を吐いても行くところがなかったら困るから。
(ここでの本音とは「在宅で暮らし続けること」だと思われる)

不必要な治療から必要なケアへ。
できないことではなくできることを数える。
大介護時代を地域再構築のチャンスととらえてはどうか。

地域をつくるのが介護の仕事。
未来の子どもが「うまれてよかった」
「この地域でよかった」と思えるように。
そうすることが私たちの責任ではないか。
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