どうしてミュージックファシリテーターなのか⑥

どうしてミュージックファシリテーションなのか①
どうしてミュージックファシリテーションなのか②
どうしてミュージックファシリテーションなのか③
どうしてミュージックファシリテーションなのか④
どうしてミュージックファシリテーションなのか⑤

音楽療法からはじまり、
ミュージックファシリテーションをみつけて、音楽療法から離脱。
そこから音楽療法に回帰。

けれど、やっぱりわたしは、
ミュージックファシリテーションが気に入っている。


2016年に調べごとをして、
私たちの仕事の背景には音楽療法があることがわかった。

そのあと、ハタと気づいた。

私は、同じくらいの熱量で「ファシリテーション」について語れるのか。
あぁ、わたしはファシリテーションのことを知らない。

語源は何?
どんな風に使われている?
誰が分野を築いてきた?

セラピーとファシリテーションを対比してみてはどうか。

セラピーの語源はセラポン。
元々「2人で何かをする」ような意味を帯びたことば。

2人は、どちらかがクライエントで、どちらかがセラピスト。
患部を特定して治療する。

介護現場における「音楽」も、1対1や少人数グループだったら、
セラピューティックに行うことが適切なケースもあるかもしれない。

しかし、それに対してファシリテーション。

語源は「ファシル」。「何かをし易くする」という意味。

セラピストの介入やプロトコルに重きがあるのではなく、
いかに参加者同士の相互作用をつくるかに重点がおかれている。

リリムジカで多く展開しているような、
6名以上多くて40人規模のグループは、
やはり「ファシリテーション」のあり方が適しているのではないか。

よくないところがあるから音楽を使って介入するのではなくて、
楽しみたいから一緒に音楽する。

加藤忠相さんが言っていてすごく感銘を受けた、
「お年寄りを楽しませるのではない。お年寄りが楽しませる。」
ということばにもしっくりくる。

与える or 与えられる という関係ではない。

「ミュージックファシリテーション」を見つけたあのころは、
「音楽療法から離れれば何かが変わるかもしれない」と期待して飛びついた。

けれど今、思う。

ミュージックファシリテーションは、
音楽療法を母に、ファシリテーションを父にもってうまれた
子どものような存在ではないかと。

音楽療法からは音楽を意図的に使う姿勢を、
ファシリテーションからは自分が供するのではなく場が価値を醸し出すあり方を、
受け継いでいる。

わたしはミュージックファシリテーションに、期待をしている。

未解決の問いはいろいろあるけれど、
今、このように、考えている。
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