「いいかげんがいい」を少しずつ読んでいる

11月29日(日)に杉並区のもび〜るさんが主催する鎌田實先生の講演を聞きに行く。

その予習として、先生の書かれた書籍を数冊購入した。
最初に届いたのがこの「いいかげんがいい」だった。

●スイスのマッターホルンで1人旅をする75歳の方のくだり。
 がんで肝臓の3分の2を摘出している。

外国でのスキーを毎年続けている。お金持ちかと思った。
「ケチケチ旅行でね。レストランで夕食をとらないようにしています。スーパーで地元の手ごろなワインと食べ物を買ってきて、部屋で食べる。年金生活です。」
ますますこの男が好きになった、いいなぁ。

先日高齢者向けのウォーキングイベントに参加したとき、
とても肌つやのよい女性がいた。声をかけると70歳!
くしゅっとしたニット帽子をおしゃれにかぶりこなしている。

「この歳になると雑念がないから、、子どもとか、夫とか、
みんながどう思うかなんて、あまり気にしないの。
iPodに好きな音楽や英語を入れて、一人でいろんな山に登りに行っているわ。」

生涯現役を標榜する人の話を聞くと、元気が出る。同じと思う。

●ずっと旅役者をしていた笑顔あふれる75歳の女性のくだり。脳卒中で左片麻痺。
 デイケアが楽しい。折り紙、切り絵、すべてが勉強になると言う。

ふうん、と僕は思った。調子のいいこと言ってるな。
折り紙がそんなに楽しいわけがないと思った。
あるとき、彼女に聞いてみた。
「なんでそんなに折り紙が楽しいの」
思いがけない答えが返ってきた。
「字を書くことも、絵を描くことも、してこなかったんです。先生、私ね、
小学校に行ったことがないんです」
(中略)
「学校には行かせてもらえませんでした。字は読めるんだけど、書けません。今、デイケアで教わることはなんでも、私にとってはうれしい勉強なんです。」
(中略)
字を書けなかった女性のニコニコ顔と向かい合いながら、僕は思った。幼いときに恵まれなかったことで、この人の目には、同じデイケアが輝く時間に感じられている。いいなぁ・・・・・・・こういう気持ちを持っている人って。

真剣に、やることだと思う。小さなころは私も一生懸命、鶴を折った。楽しかった。
自分はこんなことをしているはずの人間ではない、という考えだと損をする。

東京フィルハーモニー交響楽団

山田常之さんにご紹介いただき参加したCAPA会に、
東京フィルハーモニー交響楽団の方がお見えになっていた。

これをきっかけに東京フィル(どうやらこうやって略すようだ)の
ことを調べたが、戦中戦後の歴史にびっくり。

戦争を背景に東京フィル(当時は東京交響楽団)も1944年の
第33回定期演奏会以降演奏会はすべて臨時となったが、
なんと終戦後の9月、楽団はすぐに復活をとげたのだ。

終戦が8月15日だから、わずか1ヶ月前後のこと。
当時のメンバーの“熱量”は、制度や社会によって
おさえられるものではなかったのだろう。

ちなみに、東京フィルの発端は、
いとう呉服店(現松坂屋)の音楽隊なんだそうで。

扉を閉めた。開けた。

私の部屋のとなりにはスライド式の扉を隔てて母の部屋がある。
夜メールを打っていると、横になっている母があれこれしゃべってくる。

「お兄ちゃん、今日仕事でおもしろいことがあってね!」
「携帯がこわれた悲しい。家族の写真入ってたのに。」

今日はとくにいろんな会話が飛んできた。
しかし、午前1時。寝る前に書きたいメールが20通ほど。
話しながらだと、集中できない。

「ちょっと今日はメール送らなきゃいけないから話できないよ」
「え〜誰に送ってるの?それより台湾行こうよ。」
らちがあかなくて、思わず「お母さんゴメン!今ほんとに忙しいんだ。」

とびらをピシャッ!!

向こう側からは「お願いあけてよー、黙ってるから」
少しこもった声がきこえてきた。
しかし、こっちはメールを書かねばならぬ身。無視。
声は、二言三言で止んだ。


その後5分ほどメールの文面を考えた。しかし結局進まなかった。
だまって涙を流す母の顔が頭に思い浮かんだ。

これがもし自分の子どもだったら(いないけど)、
私はきっと相手をするだろう。いわんや母親をや。

静かに扉を開けた。するする。

「やったぜー!やっぱりお兄ちゃん優しいネ!」
母のうれしそうな声が聞こえてきた。

もう一度閉めようかと思った。けど、開けたままにした。
なんとなくくやしいから、返事はしなかった。

今、隣の部屋からはスースー寝息が聞こえてくる。