シンポジウム「脳と芸術とAIの共存に向けて」で出た4つの問い

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1月21日(日)、玉川大学学術研究所 先端知能・ロボット研究センター
略称AIBot(あいぼっと)研究センター主催のシンポジウムに参加してきた。

第1部は生演奏と映像の組み合わせが人間にどう作用するか、聴衆を交えての実験。
第2部は脳・芸術・AIをテーマにした講演とパネルディスカッションだった。

研究者の方々のコメントがきわめて興味深かったので、
4つの問いという形で紹介したい。

1.音楽聴取や合唱は人間の社会性を促進するか
人が人とふれる幸せを感じるときに分泌されるオキシトシンというホルモンがある。

AIBot研究センター主任の岡田浩之先生によると、
玉川大学では音楽を聴いたり合唱をしたりすることが
オキシトシンの分泌にどう作用するかの研究を始めたとのこと。

音楽体験によってオキシトシンが分泌され、
それによって人の行動が変容する。

リリムジカの仕事にも極めて関係が深い。
グループで行う音楽体験が、居合わせた人の人間関係に作用しうる。
経験的にそう感じてきたが、今までは生理的に
どのような作用があったのかがわからなかった。

オキシトシンを調べることによって、生理的な作用を理解できる可能性がある。
ぜひAIBot研究センターの方と一緒に考え深めていきたい。

2.人工知能は心を持つか
脳科学総合研究センター特別顧問 甘利俊一先生からはこの問いが発せられた。

ロボットが人間の心の動きを理解し、それに沿って対応する。
すると人間は「ロボットが心を持った」と勘違いするかもしれない。

しかしここで、ロボットは本当に「心を持った」と言えるのか。
心を持ったと感じさせる計算のからくりを持っているにすぎないのではないか。

このような趣旨の問いかけであった。

ただ、本質的に「心を持った」と言えなくても、
「心がある」と思わせれば十分かもしれない。

これまで私は、機械にできない人間のはたらきとして
「他者に期待すること」を挙げていた。

たとえば重度の認知症の方のそばで
「もしかしたら一緒に歌えるかもしれない」と願いながら歌いかける。

「一緒に何かをしたい」という期待は、目には見えないけれど、
相手に伝わって、音楽になって出てくることがある。

期待こそが、機械ではなく人間がはたらく意義だと思っていた。

しかし、この「期待している」という心。
そこからうまれる所作を機械が学習して表現できるとしたら、、。

人間がやるよりも効果的に、
結果(本人が心から望むかどうかは別として)をもたらすかもしれない。

ダイエットアプリは利用者の記録に応じて応援の言葉を投げかける。
「10日連続記録!その調子です。」「目標まであと1キロですよ。がんばっていきましょう!」
ブレのある周囲の関わりよりも継続につながるかもしれない。

ソーシャルゲームはログインのたびに「○○(名前)、おかえりなさい!」と声をかけてくる。
喧嘩中の家族に不機嫌に「おかえり」と言われるよりも、またログインしたくなってしまう。
実際のところゲームのプログラムは、ユーザーがまたログインして嬉しいなどと少しも思っていない。
「ユーザーをまたログインしてもらいたい」という開発者の意図があるだけだ。

3.同期に価値があるのか。相互作用に価値があるのか。
パネルディスカッションで塚田稔先生(玉川大学 名誉教授)が
ダンスについて話題提起した。

一般の人は、ペアの動きが同期・一致していることが美しさにつながると考えている。
しかし本質は違う。一方の動きを他方が受けて、自分の中で統合し、相手に返す。
たとえ相手が素人でも動きを受け止めて返すことで、踊りを創造する。

私の理想とするミュージックファシリテーターも同じだと思った。
居合わせた多様な人の多様な発信を受けて、音楽をつくっていく。
ただ曲を消費するのではなく、たとえ既成曲であっても新たな音楽を創造する。

とはいえ、同期や調和と相互作用による創造に
必ずしも優劣があるわけではない。

たとえ自分と目に見える相互作用が起きていなくても、私たちは感動しうる。
2017年紅白歌合戦における三浦大知氏の無音ダンスは素晴らしかった。

一方、相互作用の中で思いがけない力が発揮できて感動することもある。

4.どのような刺激が脳を最もクリエイティブにするのか
第1部の演奏と映像について「素晴らしかったけれども、
映像がない方がよい瞬間もあった」という指摘があった。

甘利先生によると、脳は自分自身で世界をつくっている。
うまくすれば、目の前に起きているリアリティ(今回で言えば演奏と映像)と
自分のイマジネーションのインタラクションが起きる。

しかし、刺激が強すぎるとイマジネーションをする余裕がなくなる。
この感覚は私も理解できた。

というのも、実際に第1部で「桜」をテーマにした曲の演奏のとき、
次々切り替わるスクリーンの映像をうるさく感じたこともあったからだ。

なかなか集中できなくて、最終的には視線を奏者に集中し、
映像は背景だと思うことにした。

刺激の中身も重要だが、タイミングと間隔も重要ということだ。


今回のシンポジウムは、知的に大いに刺激されたし、
リリムジカの仕事にも活かせそうだ。

登壇者の皆様、AIBot研究センターはじめ主催の皆様、
素晴らしい機会をありがとうございました。

2017年の振り返り

昨年に続き、1年をふりかえってみる。

定期的なプログラム実施事業所数は113か所から130か所に増え(昨年は14か所増)、
ミュージックファシリテーターは21人から28人になった(去年も7名増)。

特に印象的なトピックは以下4つ。

1.プログラム実施全事業所へのアンケートの実施
プログラムを行うことでどれだけインパクトを出せたかを明らかにするため、
初めてプログラムを行っている全介護事業所へのアンケートを行った。

回答くださった方のうち、
「入居者・利用者がプログラムを楽しみにしている・やや楽しみにしている」と答えたのは88%、
「参加者の日常に変化があった」と答えたのは57%、
「職員に変化があった」と答えたのは49%だった。

アンケートの集計冊子

これから毎年アンケート調査を行い、インパクトの向上に努める所存だ。

2.日本認知症ケア学会での演題発表
昨年、ある特別養護老人ホームで利用者の要介護度を調べたところ、
プログラム参加者の方が非参加者よりも改善率が高いという結果が出た。
学術的な裏付けを得るべく、介護系で知る限り最も規模が大きい
認知症ケア学会に抄録を提出し、演題発表を行う機会を得た。

人生で学会発表をする日が来るなんて想像していなかった。
発表を助けてくださった千葉・柏リハビリテーション学院の田村孝司先生、
東京都健康長寿医療センターの伊東美緒先生に感謝。

3.「参加」の意味の広がり
これまでリリムジカのプログラムにおける「参加」とは
好きなように歌って、話したいことを話すことだと考えていた。
今年は1年のうちに2つ、新しいかたちを試みることができた。
ひとつは4月に始まった歌唱能力の上達をめざす教室タイプ。
もうひとつは12月に初回を行った演奏を聴くコンサートタイプ。
どちらも好評で2018年も続いていく予定だ。
対応できる仕事の幅が広がったことを嬉しく思う。

4.講演の仕事
今年は講演の仕事を多くいただいた。
転機になったのは介護アロマを実践する方向けに行った講演。
介護アロマは高齢者本人に喜ばれるサービスであるにも関わらず、
効果の可視化が進んでいない。リリムジカがたどってきた道に近い。
依頼くださったアロマ・エンカレッジの坂内美由紀さんと
聴衆のニーズを考え、聴衆が現状から理想に近づくために必要な情報を組み立てた。
「聴けてよかった」という声を多くいただけたのが嬉しかった。

NPOクロスフィールズさんから依頼いただいた
NTTドコモの社員の方向けの講演は難しかった。
聴衆が何を求めているか、想像がつかなかった。
「伝えたいことなど何もない」と思ってしまった瞬間もあった。
けれど、クロスフィールズの担当西川理菜さん、井上良子さんと
何度も打ち合わせを重ね、きちんと聴衆に期待をかけて話すことができた。
講演後、すぐにクロスフィールズ代表の小沼大地さんが近寄ってきて
「今まで聴いた数々のプレゼンの中でもかなり良かった」と握手してくださったのが嬉しかった。

人前でお話させていたいただく仕事。
ひとつひとつが重いのでたくさんはできないけれども、
2018年もチャレンジしたい。


2017年は、リリムジカの仕事以外にも
長男と10日間の台湾旅行に出かけたり、
英語の勉強を始めたり(急きょちょっとした通訳をする事態にも遭遇!)、
介護×人材マネジメントの論文の執筆を始めることができた。

うまくいかなかったこともあるけれども、良い一年だったと思う。
お読みの皆様、2018年もよろしくお願いいたします。

「外の人」になろう

音楽だって、施設職員ができればそれでよいのでは、
という意見がある。

根強く。私たちの中にも。

けれど、「外の人」しかできないことが、ある。
それは、いつもと違うルール(評価軸)をもたらすこと。

どのコミュニティにもルールがある。
「この街じゃ、腕っぷしがすべて」みたいに。

介護施設の中で言えば、
長く利用している人が強い。
認知症が軽い人の方が強い。
ADLの高い人の方が強い。
権力のある職員に好かれている人がしあわせ。
家族がたくさんくる人がしあわせ。
などなど・・・。

目には見えない場合もあるけど、
それぞれ、ある。

ルールの中で、生きやすい人もいれば、
生きづらいと感じている人もいる。

本当はルールなんて自分の都合のいいように
解釈してしまえばよいのだけれど、
いつも同じところにいると視野が狭くなる。
よほど我が道をいける人でないと苦しい。


外から来る人は、新しいルールをもたらすことができる。
「こんな価値観があったのか!」

外の人との交わりで、それまで強かった人が弱さを見せるかもしれない。
弱かった人が「自分はこれでいいんだ」と思えるかもしれない。

たしかにルールができあがったコミュニティに飛び込んで、
「こういうのもあるんです。どうですか?」
と示すのは勇気がいる。

でも、示せるのは、ほかに戻れるところがある、
つまり、外の人だけだ。

ちょっと傷ついたって、戻れるところがある。

自分なりのやり方で、とびこんで、
新しいルールをもたらせるようになろう。

今強い人、幸せな人からは
「都合わるいからよせよ」と言われるかもしれない。
けれど、わたしの存在が救いになる人も、きっといる。